Archive for December-2006
はじめてのえどはく1
2006-12-04 17:00:00江戸ファンの聖地(?)「江戸東京博物館」にやってまいりました。
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~説明より~ 江戸日本橋絵巻
江戸には「江戸図屏風」という江戸初期の屏風があります。この屏風に経緯を表し、またこれを受けて、現代の絵師である私は、この地、日本橋に題をとりました。江戸の象徴である「日本橋」を、やまと絵の風俗画絵巻のように、江戸の生き生きとした人々の様子を今に伝えたい…と思って描きました。この絵巻は時代考証にも配慮し、範を「照代勝覧」(「日本橋紫昌絵巻」ベルリン東洋美術館蔵)にとりましたので、大通りに並ぶ大店は、江戸後期・文化年代当時の様子をそのまま描いております。また、「日本橋名所図絵」ともなっていて、日本橋から室町4丁目までの見所として、橋のたもとには高札場を描き、日本橋、魚河岸、金塵、大店の並ぶ様子(越後屋[現三越])、十軒店雛市、時の鐘を描き込みました。
さらに様々な職業の「商売づくし」ともなっており、季節は限定せずに四季折々の物売りの様子を楽しんで頂ければと思います。大店の店頭には「絵看板」が出ていて、看板を見ればすぐ何を生業としているかわかるところも見所です。江戸から400年の時を超えて、日本橋の楽しさを今に伝えます。
絵師・菊池ひと美――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
やはり日本橋は江戸の象徴的な土地だったんだわ。一番最初に日本橋に行ったのはあながち間違いじゃなかったようでホッとする。先に「肉筆浮世絵展 江戸の誘惑」を観たので、あまりこちらを見る時間がなくなってしまった。。常設展は、意外に展示物の多くてビックリ。なんらかの展覧会と合わせてくる場合は、時間に余裕を持ってくるべきだと反省。しかも江戸東京博物館の7階は図書館になっています。江戸東京に関しての資料が盛りだくさんだそうです。これはちゃんとこなくては…。常設展へは6階から入ります。入ってすぐに復元された江戸時代の「日本橋」があります。吹き抜けになっている5・6階に橋が架けられているので、本物の橋のよう。
当時の橋の規模は、全長28間(約51メートル)、幅4間2尺(約8メートル)だったようです。展示は、北側半分の14間を復元しているそうです。この間見た現在の日本橋とは、当たり前だけどまったく違う。そりゃあこれで2トントラックなんて通りませんものね。
薄暗くてアレなんですけど、このようなお屋敷とか江戸の町とかの模型があります。なかなか巧妙に作られていて、感動モノです。
顔の表情とかも要チェックです。
この籠に入って写真も撮れたりもできます。6階の展示は、江戸時代のお屋敷の模型やちょっとした展示物が数点ありました。
はじめてのえどはく2
2006-12-08 17:00:00下の5階に行くと、「江戸ゾーン」「東京ゾーン」に別れている。「江戸ゾーン」へ。
原寸大で復元された芝居小屋「中村座」がお出迎え。幕府公認の芝居小屋、中村座・市村座・森田座のひとつで、この三座の中では最も古い歴史を持つ。座元は、代々中村勘三郎が務めた。この中に入ると、十八代目中村勘三郎(昔の勘九郎)の写真がありました。期間限定で展示されているようです。芝居見物は、江戸の人々にとって最大の楽しみだったそうです。
毎月11日には「顔見世興業」があり、絵看板や文字看板、提灯などが飾られ、芝居小屋も華々しく変身したようです。
少し先へ進みますと、「助六の舞台」があります。「助六」とは、江戸歌舞伎の代表的な演目で、正式名称を「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」といいます。この舞台は、大坂千日前で京都島原の遊女揚巻(あげまき)と萬屋(よろずや)助六が心中した事件が題材とされているそうです。大坂や京都を中心とした上方歌舞伎では人気を得ていたこの和事※を江戸で初めて上演したのが二代目市川団十郎だそう。そのため、市川家のお家芸であるこの「助六」は十一代目市川海老蔵(お~いお茶でおなじみ)の襲名披露をはじめ、たびたび上演される演目だそうです。また、ほかの家が上演するときは、タイトルが変わるそうですよ。
※和事=柔弱な色男の恋愛描写を中心とした演技のこと。
Category : 江戸東京博物館はじめてのえどはく3
2006-12-13 17:00:00「寛永の町人地」
江戸時代初期、寛永年間(1624~1629)の日本橋北詰付近の町の様子を復元したジオラマが展示されています。とても細かく精巧に作られています。この時代の江戸は、戦国時代の風習をどこかに残しつつも、新しい城下町として活気に満ち溢れていたそうです。こんなに見渡しが良くて、今の日本橋界隈とはまったく想像がつきません。
「錦絵草子問屋 泉屋市兵衛」
江戸時代に実在した版元で、浮世絵版画や娯楽系の絵入り和綴じ冊子が扱われていたそう。今でいうと、古美術商つき書店というスタイルなのでしょうか。神田界隈にありそうなお店ですね。俗に浮世絵には、肉筆画と版画のふたつがあります。ここで売られる浮世絵版画(錦絵)は、何枚もすって大量生産できる木版画です。庶民にも広く楽しめるものがお店に並んでいたのですね。ちなみに、肉筆画とは絵師が紙や絹に描いた直筆画とされ、同じものはふたつとない貴重品のことを指します。テレ東の「開運!なんでも鑑定団」あたりでよく安河内先生が鑑定しているのがそれですね。
Category : 江戸東京博物館秋の江戸城探索1~和田倉橋~
2006-12-17 17:00:00江戸博の続きですが、秋の江戸城へ行ってきましたので、そちらを先に。。行く前に「大江戸骨董市」が有楽町の東京国際フォーラムにて開催されていて、「大江戸」と名がつくのでもちろん行ってみましたよ~。しかし骨董って高いですね。。結局いいものも買えずにお店をあとにして、地下鉄で大手門駅まで。出口を間違ったのか?イマイチ江戸城あたりが分からず苦労しました。大阪城くらいに残っていてくれれば、見つけやすいんだけどなぁ。。まず最初にであったのが「和田倉橋」でした。
このポーズを決めたおしゃまな外人さんのお子様がいるのが「和田倉橋」です。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
この橋を、和田倉橋といいます。ここには、かつて江戸城の守衛にために築かれた内郭門の一つ和田倉門がありました。橋を渡った皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していました。敬重7年(1602)頃といわれる「別本慶長江戸図」は橋が描かれ、「蔵の御門と云、士衆通行の橋」と記述があります。また、「御府内備考」には、橋の由来が「慶長12年の頃の図に、ここに和田蔵と称せし大なる御蔵二棟を図せり。是御門の名の起る処なり。(後略)」と記され、蔵があったため門が名づけられたとしています。なお、徳川家康が江戸に入った時、この辺は和田倉という村落であったという説もあります。
和田倉門には、鉄砲十挺・弓五張・長柄槍十筋・持筒二挺・持弓一組が常備されています。警備は、諸代大名で二万石から三万石の者が担当していました。この橋は、昔そのままに復興されたものですが、江戸城の門と橋を偲ぶのにふさわしい景観をみせています。
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見事なお庭が見えてきました。と、ここまで来て気付きました。ここは江戸城跡入口じゃない!と。その先には「和田倉噴水公園」がありあました。現在の皇太子殿下のご成婚記念として作られたようですよ。場所を間違えて、あまりにも慌てていたために公園の写真を撮るのを忘れていました。。。
公園を出て目の前、こちらが今日の目的地です。
これこれ!城っぽい!(笑)後で調べたら、「桜田ニ重櫓」だと判明しました。「巽櫓」ともいうそうです。前方、お堀の方へ突き出した部分があるんですが、そこは「石落とし」といって石を落として敵が堀をよじ登ってくるのを防いだところだそうです。また、小さい窓をいくつか確認できるのですが、これは「狭間(さま)」といい、ここから弓や鉄砲を打つための窓だったそうです。
次回、江戸城探索をアップしまっす!
Category : 江戸城秋の江戸城探索2~大手門付近~
2006-12-20 17:00:00遂にたどり着きました。江戸の城跡です。今の「皇居東御苑」があるところに昔の江戸城がありました。江戸城に入るには、まず入口で「入園票」というお札を貰って入ります。入口の「大手門」は、江戸城の正門だったところです。
ここから皇居東御苑内へ入ります。意外に狭いし、曲るし…と文句を言いそうになったんですが、これは、外部からの敵が攻めて来た時に一気に入ってこられるのを防ぐために、このような構造になっているのだそうです。第一門を入ると、枡形の空き地があり、その空き地を右に曲ると第二門になります。このような門のつくりを枡形門と言ったそうです。さすが、考えられますね~。と、ちょっと待って!
しゃちほこ…?発見。これは「旧大手門渡櫓の鯱」といい、江戸時代に造られ、昭和になって戦争で大手門が焼失した時まで飾られていたものだそうです。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
1945年(昭和20年)4月、戦災で焼失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱です。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから、明暦の大火(1657年)で焼失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。今の大手門渡櫓は、1968年(昭和43年)に再建されたものです。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
観光気分でパチリ。
右:三の丸尚蔵館。何もやっていなかったです。この先には宮内庁病院があるらしい。
中:いきなりの赤いポスト。なぜこんなところに…。隣の紅葉がエエ感じです。
左:こっちの先には、皇居警察本部があるんだそうな。昔で言う番所というやつでしょうか。
ちなみにこの近くに売店があります。そこでは飲食物が売っていたり、皇居グッズが売っていたりします。皇居グッズなんて、巷じゃそう簡単には買えないですよ!雅子さまのお印「はまなす」の絵が入った小箱を購入しました。ネクタイピンとかおちょことかもありましたので、ご家族にお土産を買うのもいいですね。そのほかにも、来年のカレンダーや、江戸時代の大名地図や、なかなか興味深い一品も。次は各番所です。
Category : 江戸城秋の江戸城探索3~番所系~
2006-12-26 17:00:00同心番所です。今で言う派出所みたいな、そんなイメージでしょうか。ここで尾張・紀伊・水戸の御三家以外の大名は検問を受けたそうです。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当たっていました。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ここは百人番所です。ながっ!
前からみた図 後ろから見た図
ハッキリ行って、先ほどの番所の2、3倍ありますよ。―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
本丸と二の丸へ通じる要所である大手三の門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎の4組みが昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
常に100人で24時間体制だったとは。100人乗っても大丈夫~な強度の建物なのでしょう。余談ですが、新宿に百人町というところがあるんですが、この百人番所がどうやら由来になっているとか。なんでも、この百人番所の鉄砲部隊の組屋敷があったんだそうです。ハットリくんの先祖でおなじみ?の服部半蔵率いる伊賀組がそれらしいです。
韓流ブームによりいまや日本のコリアンタウンである大久保は、昔は武士(忍者?)の町だったのですね。近くにある皆中稲荷神社では「鉄砲組百人隊行列」というイベントもあるそうです。ちなみにこの神社は、鉄砲隊がお参りして練習したら百発百中だったというところから「皆中(みなあたる)」と称えられ、現在では「ギャンブルの神様」としても有名だそう。
最後が大番所。
なんだか一番のほほんとしたスペース。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上がったところが本丸の入口で、中雀門がありました。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今の警察でいうと警視庁総監とかそういうのでしょうか?キャリア組みはぜったいこちらなんでしょう。
Category : 江戸城秋の江戸城探索4~番所へ~
2006-12-28 17:00:00大手中之門は、石垣修復工事をしていたためこんな感じでした。
この石垣、本当にビッシリと入っていますよね。中とかもちゃんと入っているのかも気になってしまいます。ココらへんは、書院門跡というらしいです。この横の坂を上ると、皇居東御苑、旧本丸です。面積は約21万㎡あるそうですよ。
この~木なんの木?というあの曲が聞えてきそうなくらいののびのびとした空間!目の前に建物がないからか、東京駅から徒歩で20分くらいの大都会で空がこんなにも臨める空間ってなかなか貴重ですよね。ランチとか食べれてしまう場所なんですよ。
皇居内でランチ…なんて贅沢。あ、そういえば一緒にいった友人は皇居売店で売っていた「チョコもなか」買って食べていた。「皇居でチョコもなか食べた~」とか、すごいありえないと思うんですけど、あるんですね実際。ていうか、チョコもなかは皇居売店さんのセレクトなんでしょうか?この手前から表、中奥、大奥という順に設置されていたそうです。表では政治が行なわれる場所で、中奥は将軍の住居、大奥は将軍の奥方やそれに仕える女性の生活空間だったそう。ここらであの大奥のドロドロ愛憎劇が繰り広げられていたりしたのかしら。そんな事を思いながら次のスポットへ。
富士見櫓です。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
~説明板より~
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19の櫓がありました。今は、伏見櫓、桜田ニ重櫓と、この富士見櫓の3つが残っています。その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓です。明暦の大火(1657年)で消失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めたちいわれています。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この富士見櫓は、現在の皇居を参観するときに、表側が見えるようです。皇居の参観には通常は手続きを要しますが、12月23日の天皇誕生日と1月2日の新年の二日のみ手続きなしで入ることができるそうです。
Category : 江戸城秋の江戸城探索5~忠臣蔵の地から石室へ~
2006-12-30 17:00:00あたかも京都にいるような錯覚を覚えるなか、なんとあの正月特番ドラマで御馴染みの場所に到着!松の大廊下があったところです。
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~説明板より~
赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件が元禄14年(1701)にあったところです。廊下に沿った襖戸に松と千鳥が描かれていたのが名前の由来といわれます。江戸城中で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。
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ドラマ「忠臣蔵」で有名な松の大廊下跡。今年もあるみたいですが、いつもの「忠臣蔵」とは違う設定だとか。ちょっと気になります。ポツネンと碑が立っていました。切ないですね。。
そんな松の大廊下跡付近なのですが、景色がため息がでるほどすっごいキレイですよ。
紅葉につられて、上り坂の方へ。富士見多聞というところを通りました。
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~説明板より~
「多聞」とは、防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれました。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができました。本丸の周囲は、櫓と多聞で囲まれて万一に備えられていました。
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本丸を振り返るとこのような図です。整備されていますね~。
そうだ、京都行こうなんて思わなくても、東京のど真ん中でこんなに素敵な秋の景色が楽しめるのですよ。しかもタダで。歴史も勉強できて、季節も楽しめる江戸城跡、あなどれがたし。。何気に外人さんの観光客が多い気がしたんですが、そのせいでしょうか。今まで素通りしてきたことをもったいなく思いました。更に先へ行くと、石室があります。
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~説明板より~
抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際、大奥用の調度などを納めたところと考えられます。内部の広さは、20平方メートルあります。伊豆石(伊豆半島産の安山岩)で作られており、天井には長い石の坂が使われています。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
なんだか防空壕みたいですね。ここでもやはり、石の積み重ねがとてもキレイですね。次回は、江戸城の天守閣にやっと到着しますー。
Category : 江戸城
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