Archive for February-2007

秋の江戸城探索14~憲政記念館~

2007-02-01 17:00:00

  

憲政記念館の入口です。玄関では尾崎行雄銅像が出迎えてくれます。

公園内を散策している時には気付かなかったのですが、私、ここにきたことがありました。この尾崎行雄の銅像を見て思い出しました。ここはあれですよね、修学旅行のメッカですよね?レストラン「霞ガーデン」を見て、もれなく食事をした淡い思い出がよみがえってまいりました。

 

「人生の本舞台」石碑

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~説明板より~

 この記念碑は、尾崎記念会館(現 憲政記念館)設立の際、スウェーデンから寄贈された花こう岩で製作され、「憲政の神様」と称えられた尾崎行雄の句が刻まれている。

人生の本舞台は常に将来に在り

         九四翁行雄

 「現在なしていることは、すべて将来に備えてのことである」という意味で昭和8年(1933)秋、寸暇を得て郷里三重県に帰った尾崎行雄は、自邸に落ち着き、戦争に明け暮れた76年間を振り返り、「老威に安んせず将来に目を向けねばならぬ」と自戒を込めてこの警句をつくった晩年の・こうである。

※「・」の部分が読めませんでした。

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「仮議事堂の門柱」というものもありました。




「時計塔」

施設内の公園にあります。この塔は、「三面塔星型」で、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものだそうです。ちなみに時計は、設置当初はスイス製だったのですが、現在は国産のものになっているそう。なんでも時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた時計だったそうです。

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秋の江戸城探索15~永田町一丁目~

2007-02-06 17:00:00



後光が射しているかのような、日が暮れてきた国会議事堂前。日本の政治の中心部ですね。この議事堂は、民間から募集して選ばれたデザインを基に造られているそうです。大正9年(1920)に着工し、完成したのは昭和11年(1936)、なんと17年もの歳月をかけて造られたそうです。建物の高さは、当時日本一だったそうです。完成するまでは「仮議事堂」という場所で議会は開催されていたそうです。憲政記念館で見た「仮議事堂の門柱」はその名残なのですね。ちなみに昨年2006年11月に竣功70年を迎えたそうです。

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~説明板より~

永田町一丁目

「永田町」の名前が正式に生まれたのは明治5年(1872)のことです。江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来です。江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めました。明治期には大半が軍用地に変わりましたが、国会議事堂が昭和11年(1936)に完成すると、国政の機能が集中し、政治の中心地となりました。

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憲政記念館の向かい、右に国会議事堂を見ながら道を渡ると、松平安芸守のお屋敷跡地があります。写真はその跡地にある池の鯉です。びっくりするぐらい池の水が透き通っています。下の落ち葉まで丸見えです。さすがここらへんは日本の政治の中心地ですので、抜かりなく整備されているのでしょうね。

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秋の江戸城探索16~江戸城付近の○○跡地系~

2007-02-09 17:00:00

明治生命館です。



ここは、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、安藤広重の誕生の地だそうです。安藤広重といえば、「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などの風景画が有名ですよね。実は、父親は定火消同心であり、若い頃は火消しもしていたらしいですよ。この「明治生命館」が建てられたのは昭和9年(1934)で、東京大空襲を受けたり、終戦後にGHQ(連合国軍最高指令官総司令部)に使用されたりと、時代に翻弄された建物のようです。現在は、国の重要文化財となっているようです。

法務省です。



こちらは、米沢藩の上杉家屋敷跡だそうです。

 

警視庁です。



松平市正家屋敷跡です。

 

三宅坂を下っていきますと、お堀と道を挟んで最高裁判所があります。



こちらは三宅備前守屋敷跡だそうです。ちなみに「三宅坂」とは、三宅備前守から由来しているそうです。そこに小さな公園があります。名前は「三宅坂小公園」(そのまんま・笑)です。まるで「ウフフ~」みたいな少女の笑い声が聞えてきそうなブロンズ像は「平和の群像」というそうです。

 その真裏に・・・

 

渡辺崋山誕生地の案内板があります。

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~説明板より~

渡辺崋山誕生地

渡辺崋山は通称を登といい寛政5年(1793)三宅備前守藩邸内に生まれ、大部分をここですごしました。

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江戸時代後期の幕末を生き延び、田代藩の家老、蘭学者、画家、様々な顔があったようですね。なんとなく学生の頃、教科書で習った気が…。こう色々と東京のお江戸スポットを巡ってみて思うのですが、学生の頃って本当に勉強するだけで頭に入っていなかったなぁ…

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秋の江戸城探索17~銅像:半蔵門~

2007-02-13 17:00:00

半蔵門、西の丸です。警備の方が少々恐かったので、隣の千鳥ヶ淵公園から隠し撮りみたいな写真です。こちらから皇居の方々が出入りするからということだと思うのですけれど、他のところとは俄然空気が違いますね。皇居正門より警備が厳重な印象です。



ちなみに半蔵門という名前は、警備を担当していた服部半蔵(伊賀組)のお屋敷がここらへんにあったことから由来しているようです。西の丸には、主に隠居した先代の将軍様や跡継ぎが住んでいたそうです。




三宅坂小公園が「平和の群像」、ならばこちらは「自由の群像」ということなのでしょうか。「君だけに」を歌っている少年隊のようです。見た目がものすごいフリーダムです。春になるとこの辺りから、千鳥ヶ淵の散歩コースは桜がとってもキレイですよね。春にまた散歩しにきてみたいです。

~ここでひとやすみ~

  

遅めのお昼を食べにさぼうるへ。半蔵門から神保町へは半蔵門線で一駅です。A7出口をでてすぐ左後ろを振り向くとあります。さぼうる1は喫茶と軽食のみですが、2は食事メニューがあります。このナポリタンは小さい頃に食べた懐かしい味で、食べたくなるのです。量がタップリなのですが、ペロッと食べられます。

~歩いて九段下方面へ戻る~



途中で日本橋川に架かる「俎橋(まないたばし)」を通りました。今でこそ鉄筋コンクリートのちゃんとした橋の造りをしていますが、その昔は本当にまったいらな板が架かっているだけの橋だったそうで、そこから「まな板」という名前が付けられたのだとか。そのままですね。

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秋の江戸城探索18~銅像:清水門~

2007-02-16 17:00:00

俎橋を渡って九段坂を目の前に左へ曲って歩いていくと九段会館があります。撮ったはずの九段会館写真が何故かないのですが…残念。ここは建物が本当にステキです。よく大ホールではコンサートなどもおこなわれていますよね。宴会場では結婚式もできるらしいです。歴史の重みが感じられる素晴らしい空間で、またシャンデリアが良いですね。ここで結婚式とか…誰かしないかなぁ(笑)。プロデュース次第でゴージャスにもガーリーにも演出できる女の子の憧れ結婚式場じゃないでしょうか。


 

九段会館から千代田区役所をさがり、千代田区公会堂すぐを右に入ると北の丸、別名「清水門」があります。ここらへんは、御三家の清水家があったから「清水門」というそうです。しかし、「ここらへんに清水が沸いた説」と「清水寺という寺があった説」などの諸説あるそうです。どれが正しいのでしょう…。

 

ここの雰囲気は他の門と比べると、なんだかひっそりとした寂れたイメージです。昔のまんまの姿が見られるといった感じでしょうか。階段がでこぼことしていて、とても歩きにくくて登りにくいので、いい運動になります。ここら辺では一番、雰囲気的に江戸スリップ気分が味わえる場所のような気がしますので、歴史マニアの人にはグッと来る場所なのかもしれないですね。ちなみに、この門には入場規制などはなく、終日開いているらしいですよ。

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秋の江戸城探索19~銅像:吉田茂像~

2007-02-20 17:00:00



清水門から自然感あふれる階段をのぼり、右方面へ階段を上がるとそこは江戸時代に御三家の清水家と田安家があった「北の丸公園」があります。ちなみにそのまま真っ直ぐ歩くと「科学技術館」があります。清水家跡地の方には吉田茂像があります、その先の道を挟んで千鳥ヶ淵側が田安家跡地なのだそうです。


 

手に手袋なんて持っている姿が、モダーンな空気漂いますね。吉田茂といえば、国会で質疑応答中のやりとりに対し「バカヤロー」とポロリと口にしてしまったことから衆議院解散に追い込まれた「バカヤロー解散」ですよね。この「バカヤロー」発言に関しては、本当は怒鳴ったようにはいっていなかったとか、ある議員さんが「バカヤロー」とつぶやいたのを聞き逃さずにジェスチャーで伝えたとか、色々と説はあるようで…。

吉田茂は66歳にして初めて大臣職に就いたという遅めの政治家生活スタートにも関わらず、日本の独立・復興のために力を尽くし、内閣総理大臣に5回任命されたことがある歴史上で重要な人物ですよね。昭和天皇の人柄をマッカーサーに説いたというエピソードもあるということで、皇居に近いこの公園に像が建てられているのかな…?「吉田茂」という文字がとても愛嬌があって、なんだか温かみのある像でした。

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秋の江戸城探索20~銅像:田安門~

2007-02-23 17:00:00



この写真は清水門から見た日本武道館です。日本武道館は東京オリンピックが開催されるときに造られたそうです。付近の北の丸公園は、近衛連隊の駐屯地があったところでもあり、公園内を探すと記念碑などがあります。もう日が暮れかけていたので発見したのですが写真をちゃんと取れませんでした。ちなみに、「近衛歩兵第二聯隊記念碑」は入り組んだところにあって分かりづらいのですが、「近衛歩兵第一聯隊記念碑」は武道館の売店真横にあるので見つけやすいですよ。



田安門です。こちらは日本武道館への入口としてもおなじみですね。先に北の門まで回ってきたのが運のツキ?のようで、もう日が暮れてしまいました。しかも、おりしも今日はコンサート開催日だったようで…この門の周りはダフ屋さんがゾロゾロといらっしゃいました。怒られてもアレなので、写真はギリギリ門上あたりを…。

この門ができるまで「田安台」という田園地帯があったそうです。そのために、御三家のひとつ、田安家は「田安」という名前にしたそうです。え~!ということは、清水門ももしかして逆でしょうか…。八代将軍、徳川吉宗の次男である宗武が田安家の初代当主だそうです。

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秋の江戸城探索21~銅像:大村益次郎像~

2007-02-27 17:00:00

 

この銅像があるのは靖国神社の中です。あの大きな赤い鳥居をくぐって真っ直ぐいくとあります。あまりにも上に設置されているので、顔などが確認できないのが残念です。長州で生まれ育ち、もともと村田蔵六という名前の蘭学者であったが、桂小五郎により軍事の才能を見出されて反幕府戦争の総司令官に抜擢される。日本陸軍の基礎を築いた人物としても有名。京都で襲撃を受け、その傷がもとで亡くなったそう。

いわずもがな、靖国神社とは戦争で亡くなられた軍隊の方々を祭る神社です。これから春になると、桜の名所としても有名ですよね。夜はライトアップされて雰囲気も良いです。そういえば、去年お花見にいったときは人の多さにもうんざりはしたのですが、さながら出張割烹居酒屋のような進化した屋台があったのに驚きました。たこ焼きや焼きそばあめ細工ももちろんのこと、魚介類が氷の上に置かれていたり旬の食材が並んでいるという豪華な屋台からドネルケバブやタイフード系のものがあったり、王道&ゴージャス&グローバルな雰囲気が魅力的でした。今年も時間があればいってみたいです。

また近年、小泉元総理大臣が参拝して話題になっていたましたが、総理ではなくなった今年もやはり参拝にこられるのでしょうか。靖国神社のホームページには戦争で亡くなられた方々の遺書が掲載されているのですが、本当にこういうものを読むと戦争はあってはならないものだと改めて考えさせられますね。

Category : 江戸城

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