春の浅草観光:花やしきとその周辺

2007-03-10 17:00:00

  

 

嘉永6年(1853)から続く、日本最古の遊園地「花やしき」。造園師である森田六三郎により、牡丹や菊をはじめとした花の細工や四季の植物を鑑賞できる施設としてオープンしました。後々に、珍鳥や猛獣を飼育したり、見世物小屋的なものも増えたりしていったそうです。戦時中は一時閉園するも、戦後の昭和22年(1947)に再び開園し現在に至るそうです。昭和25年(1950)には、写真左にある「Beeタワー(当時は人工衛星塔という名前)」、昭和28年(1953)には、日本で現存する最古のジェットコースターとして有名な「ローラーコースター」が登場したのだそうです。この日も多くの人で賑わっていました。私の見る限りお年寄りとお孫さんと思しき子供連れが多かったです。激しいアトラクションが少ないから乗りやすいのでしょうね。


 

昭和39年(1964)から続く「浅草演芸ホール」、この日も落語や漫才などの演芸寄席が予定されていたようです。若かりし頃のビートたけしが出演していた「フランス座」は「東洋館」と名称を変更し、平成12年に改装オープンしたそうです。この演芸ホールの右隣から入場するそうですですが、正面しか見ていなくて気付きませんでした。。。

  

お昼にはうなぎを食べました。この「やっ古」というお店は、創業は寛政年間だそうです。大正ロマン漂うハイカラな内装で、雰囲気がとても良いです。右はお箸についていたイラストです。どことなく藤子不二雄のキャラクターみたいな感じですよね。


とても趣のある浅草寺周辺です。上を向いて歩くと、何か面白いものが発見できるかもしれません。一番右の「天国」の看板は、喫茶店「天国」のもの。「天国」と焼印のついたホットケーキやソーセージがパンからはみ出ているホットドッグなどの軽食が味わえます。歩き疲れて、一息つくのに良いお店ですね。「天国」と名前の入ったオリジナルグッズもとても可愛らしいです。


大衆食堂の写真は、花やしき裏のお店です。この付近には「ウインズ」があるので、競馬新聞片手にモツ煮込みを食べたりビールを飲んだりする方々がたくさんいらっしゃいました。「ホッピー通り」なんて粋な名前ですよね。次回来たときは、グルグルと浅草を巡って一杯ひっかけたいものです。

Category : 浅草

春の浅草観光:浅草寺の周辺

2007-03-06 17:00:00

  

浅草寺付近はお地蔵さまが色んなところに設置されています。宝蔵門からすぐ近くにあるのが、平和地蔵尊。戦没者供養のために建てられたようです。その平和地蔵尊の道を挟んで向こう側には、「二尊仏」という仏さまが2体ならんでおります。貞享4年(1687)に群馬県の高瀬善兵衛が寄進したものだそうです。右は母子地蔵尊です。大二次世界大戦中に満州で命を落とした母と子供の冥福を祈るために建設されたのだそうです。尊像発案者は、漫画家のちばてつや氏だそうです。

  

弁天堂と時の鐘

浅草にも、時を知らせる「時の鐘」があります。

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~説明板より~

 時の鐘(浅草寺)

 江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たしていたのが時の鐘である。当時、江戸城内にあったが。江戸市街地の拡大にともない日本橋本石町にも設置され、さらには浅草寺や寛永寺(上野山内)など、九箇所でも時を知らせた。

 鐘の大きさは、高さ1.1メートル、直径1.52メートル

 鐘銘によれば、撰文は浅草寺別当権僧正宣存で、元禄5年(1692)8月、五代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大椽藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金200両を寄進した。

 この鐘は、時の鐘として、あるいは浅草寺の梵鐘として、さまざまな文学作品にも登場しているが、中でも松尾芭蕉の句、

 

 花の雲 鐘は上野か 浅草か

 

は、あまりにも著名である。

 昭和20年(1945)3月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り、今もなお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたものである。

平成11年3月

台東区教育委員会




本堂から「二天門」を望む。もともと、二天門は、元和4年(1618)に、浅草寺境内に徳川家康を祀った東照宮が造られた際に、将軍参拝用の門として建設されたものだそうです。しかしこの東照宮は、寛永19年(1642)に焼失してしまって門だけが残ったそうです。その後、明治になってから鎌倉にある鶴岡八幡宮より「ニ天像」がこの門に移されたため名前を「二天門」としたそうです。しかしその像は、修理のために搬出されているときに戦火により焼失してしまいます。現在は、上野にある寛永寺厳有院霊廟勅額門にあった木造の「増長天」と「持国天」を安置しています。二天門は周辺の門や本堂が何度か焼失しているのにかろうじて無傷であり、現在は国の重要文化財に指定されています。また、増長天と持国天は都の有形文化財です。



この立派な五重塔もやはり焼失と再建を繰り返しております。現在の五重塔は、昭和48年(1973)に再建されたもの。慶安元年(1648)に建てられたときは、観音堂の東側にあったのだそうです。

Category : 浅草

春の浅草観光:浅草寺

2007-03-03 17:00:00

東京の観光地で有名なところといえば、浅草がまず挙がりますよね。昨今、「六本木ヒルズ」や「表参道ヒルズ」(ヒルズばっかりですね・笑)などのランドマークが建ち、だんだんと変化してきた東京の観光スポット。でもここは、昔からあまり変化がないようなそんな気がします。そういう「昔からある東京の風景」が楽しめる場所として、年中、国内外より観光客や参拝者が集まっています。江戸時代の浅草寺でも境内に見世物や大道芸があったり江戸後期には芝居小屋ができたりと、いつも人で賑わっていたそうです。そして、浅草といえばこの浅草寺の総門「雷門」にある提灯です。これだけで「浅草」とすぐ分かるという、浅草のシンボルマーク的存在ですね。



提灯の横にいるのが、下の「風神さま」と「雷神さま」の像です。雷門って、正式名称は「風雷神門」というのですね。略して「雷門」、これは江戸時代から呼ばれていたようです。門は、天慶3年(942)に平安時代中期の武将である平公雅(たいらのきんまさ)によって建設されたそうです。ちなみに前はここにはなく、隅田川のほとりにある「駒形堂」に建てられていたそうで、鎌倉期以後にこちらへ移されたそうです。2回の焼失と再建を経て、慶応元年(1865)にまた焼失…。その後、昭和35年になるまで95年の間も再建は見送りになっていたそうです。東京の観光地としてずっと長い間有名なのだと思っていましたが、明治・大正・昭和初期にはこの門は無かったのですね。ちなみに昭和になって再建したのは、松下電器の松下幸之助氏が寄進されたからだそうです。

 

左は雷神さま、右はリアル改源さんですね。風神さまは、風邪薬「改源」のCMでおなじみですよね。あの「おっちょこちょい」なイメージの改源さんには似ても似つかないような迫力&風格。雷神さま共々、おっかない印象です。ちなみに、ご存知ですか?ちょうちんの下には龍が彫られています(写真下左)。今まで何度か浅草は来ているのですが、恥ずかしながら初めて見ました。渡邉崇雲という方の作品だそうで、この雷門以外にも、仁王門、本堂、二天門、不動尊に設置されているちょうちんの底にそれぞれの龍の彫刻が見られるそうです。

 

 

雷門の裏には、天竜像(左)、金竜像(右)がおります。安置されたのは、昭和53年(1978)とつい最近なのですね。私より若いです。天竜像の目が今にもこちらを向きそうな雰囲気です。なんとなくアラジン風ですね。

  

仲見世通りです。ここから宝蔵門までの約140mの参道には、お土産品や雑貨品のお店ほかに、出来たてお菓子が味わえるお店があります。仲見世定番メニューの焼きたてお煎餅と揚げまんじゅうを食べました。そして、次に見えてくるのは、「宝蔵門」のはずだったのですが、現在改修工事を行っているため、白い布?で覆われていたために、見ることはできませんでした。残念です。

  

もくもくとお線香の煙が…。具合の悪いところに煙を浴びると、その部分が良くなるといわれているのですよね。誰がやりだしたのでしょうか、なんとなく疑問ですよね。



ついに浅草寺本堂に到着です。推古朝36(628)に建立されたといわれる浅草寺は、長い間、焼失と再建を繰り返しており、慶安2(1649)に三代目将軍の家光により再建されて明治には「国宝」に指定されたそうです。しかしその後、関東大震災の被害こそまぬがれたのですが、昭和20(1945)の東京大空襲で焼け落ちてしまいます。雷門もそうですが、仕方ないとはいえ本当にもったいないですね…。再び復興したのは昭和33(1958)だったそうです。浅草寺は意外にも波乱万丈なお寺だったのですね。

Category : 浅草

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