秋の江戸城探索19~銅像:吉田茂像~
2007-02-20 17:00:00
清水門から自然感あふれる階段をのぼり、右方面へ階段を上がるとそこは江戸時代に御三家の清水家と田安家があった「北の丸公園」があります。ちなみにそのまま真っ直ぐ歩くと「科学技術館」があります。清水家跡地の方には吉田茂像があります、その先の道を挟んで千鳥ヶ淵側が田安家跡地なのだそうです。
手に手袋なんて持っている姿が、モダーンな空気漂いますね。吉田茂といえば、国会で質疑応答中のやりとりに対し「バカヤロー」とポロリと口にしてしまったことから衆議院解散に追い込まれた「バカヤロー解散」ですよね。この「バカヤロー」発言に関しては、本当は怒鳴ったようにはいっていなかったとか、ある議員さんが「バカヤロー」とつぶやいたのを聞き逃さずにジェスチャーで伝えたとか、色々と説はあるようで…。
吉田茂は66歳にして初めて大臣職に就いたという遅めの政治家生活スタートにも関わらず、日本の独立・復興のために力を尽くし、内閣総理大臣に5回任命されたことがある歴史上で重要な人物ですよね。昭和天皇の人柄をマッカーサーに説いたというエピソードもあるということで、皇居に近いこの公園に像が建てられているのかな…?「吉田茂」という文字がとても愛嬌があって、なんだか温かみのある像でした。
Category : 江戸城秋の江戸城探索18~銅像:清水門~
2007-02-16 17:00:00
俎橋を渡って九段坂を目の前に左へ曲って歩いていくと九段会館があります。撮ったはずの九段会館写真が何故かないのですが…残念。ここは建物が本当にステキです。よく大ホールではコンサートなどもおこなわれていますよね。宴会場では結婚式もできるらしいです。歴史の重みが感じられる素晴らしい空間で、またシャンデリアが良いですね。ここで結婚式とか…誰かしないかなぁ(笑)。プロデュース次第でゴージャスにもガーリーにも演出できる女の子の憧れ結婚式場じゃないでしょうか。
九段会館から千代田区役所をさがり、千代田区公会堂すぐを右に入ると北の丸、別名「清水門」があります。ここらへんは、御三家の清水家があったから「清水門」というそうです。しかし、「ここらへんに清水が沸いた説」と「清水寺という寺があった説」などの諸説あるそうです。どれが正しいのでしょう…。
ここの雰囲気は他の門と比べると、なんだかひっそりとした寂れたイメージです。昔のまんまの姿が見られるといった感じでしょうか。階段がでこぼことしていて、とても歩きにくくて登りにくいので、いい運動になります。ここら辺では一番、雰囲気的に江戸スリップ気分が味わえる場所のような気がしますので、歴史マニアの人にはグッと来る場所なのかもしれないですね。ちなみに、この門には入場規制などはなく、終日開いているらしいですよ。
Category : 江戸城秋の江戸城探索17~銅像:半蔵門~
2007-02-13 17:00:00
半蔵門、西の丸です。警備の方が少々恐かったので、隣の千鳥ヶ淵公園から隠し撮りみたいな写真です。こちらから皇居の方々が出入りするからということだと思うのですけれど、他のところとは俄然空気が違いますね。皇居正門より警備が厳重な印象です。
ちなみに半蔵門という名前は、警備を担当していた服部半蔵(伊賀組)のお屋敷がここらへんにあったことから由来しているようです。西の丸には、主に隠居した先代の将軍様や跡継ぎが住んでいたそうです。
三宅坂小公園が「平和の群像」、ならばこちらは「自由の群像」ということなのでしょうか。「君だけに」を歌っている少年隊のようです。見た目がものすごいフリーダムです。春になるとこの辺りから、千鳥ヶ淵の散歩コースは桜がとってもキレイですよね。春にまた散歩しにきてみたいです。
~ここでひとやすみ~

遅めのお昼を食べにさぼうるへ。半蔵門から神保町へは半蔵門線で一駅です。A7出口をでてすぐ左後ろを振り向くとあります。さぼうる1は喫茶と軽食のみですが、2は食事メニューがあります。このナポリタンは小さい頃に食べた懐かしい味で、食べたくなるのです。量がタップリなのですが、ペロッと食べられます。
~歩いて九段下方面へ戻る~
途中で日本橋川に架かる「俎橋(まないたばし)」を通りました。今でこそ鉄筋コンクリートのちゃんとした橋の造りをしていますが、その昔は本当にまったいらな板が架かっているだけの橋だったそうで、そこから「まな板」という名前が付けられたのだとか。そのままですね。
Category : 江戸城秋の江戸城探索16~江戸城付近の○○跡地系~
2007-02-09 17:00:00明治生命館です。
ここは、江戸時代後期に活躍した浮世絵師、安藤広重の誕生の地だそうです。安藤広重といえば、「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などの風景画が有名ですよね。実は、父親は定火消同心であり、若い頃は火消しもしていたらしいですよ。この「明治生命館」が建てられたのは昭和9年(1934)で、東京大空襲を受けたり、終戦後にGHQ(連合国軍最高指令官総司令部)に使用されたりと、時代に翻弄された建物のようです。現在は、国の重要文化財となっているようです。
法務省です。
こちらは、米沢藩の上杉家屋敷跡だそうです。
警視庁です。
松平市正家屋敷跡です。
三宅坂を下っていきますと、お堀と道を挟んで最高裁判所があります。
こちらは三宅備前守屋敷跡だそうです。ちなみに「三宅坂」とは、三宅備前守から由来しているそうです。そこに小さな公園があります。名前は「三宅坂小公園」(そのまんま・笑)です。まるで「ウフフ~」みたいな少女の笑い声が聞えてきそうなブロンズ像は「平和の群像」というそうです。
渡辺崋山誕生地の案内板があります。
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~説明板より~
渡辺崋山誕生地
渡辺崋山は通称を登といい寛政5年(1793)三宅備前守藩邸内に生まれ、大部分をここですごしました。
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江戸時代後期の幕末を生き延び、田代藩の家老、蘭学者、画家、様々な顔があったようですね。なんとなく学生の頃、教科書で習った気が…。こう色々と東京のお江戸スポットを巡ってみて思うのですが、学生の頃って本当に勉強するだけで頭に入っていなかったなぁ…
Category : 江戸城秋の江戸城探索15~永田町一丁目~
2007-02-06 17:00:00
後光が射しているかのような、日が暮れてきた国会議事堂前。日本の政治の中心部ですね。この議事堂は、民間から募集して選ばれたデザインを基に造られているそうです。大正9年(1920)に着工し、完成したのは昭和11年(1936)、なんと17年もの歳月をかけて造られたそうです。建物の高さは、当時日本一だったそうです。完成するまでは「仮議事堂」という場所で議会は開催されていたそうです。憲政記念館で見た「仮議事堂の門柱」はその名残なのですね。ちなみに昨年2006年11月に竣功70年を迎えたそうです。
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~説明板より~
永田町一丁目
「永田町」の名前が正式に生まれたのは明治5年(1872)のことです。江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことが、この町名の由来です。江戸時代中ごろから現在の議事堂裏の通りは「永田町」と呼ばれ始めました。明治期には大半が軍用地に変わりましたが、国会議事堂が昭和11年(1936)に完成すると、国政の機能が集中し、政治の中心地となりました。
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憲政記念館の向かい、右に国会議事堂を見ながら道を渡ると、松平安芸守のお屋敷跡地があります。写真はその跡地にある池の鯉です。びっくりするぐらい池の水が透き通っています。下の落ち葉まで丸見えです。さすがここらへんは日本の政治の中心地ですので、抜かりなく整備されているのでしょうね。
Category : 江戸城秋の江戸城探索14~憲政記念館~
2007-02-01 17:00:00
憲政記念館の入口です。玄関では尾崎行雄銅像が出迎えてくれます。
公園内を散策している時には気付かなかったのですが、私、ここにきたことがありました。この尾崎行雄の銅像を見て思い出しました。ここはあれですよね、修学旅行のメッカですよね?レストラン「霞ガーデン」を見て、もれなく食事をした淡い思い出がよみがえってまいりました。
「人生の本舞台」石碑
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~説明板より~
この記念碑は、尾崎記念会館(現 憲政記念館)設立の際、スウェーデンから寄贈された花こう岩で製作され、「憲政の神様」と称えられた尾崎行雄の句が刻まれている。
人生の本舞台は常に将来に在り
九四翁行雄
「現在なしていることは、すべて将来に備えてのことである」という意味で昭和8年(1933)秋、寸暇を得て郷里三重県に帰った尾崎行雄は、自邸に落ち着き、戦争に明け暮れた76年間を振り返り、「老威に安んせず将来に目を向けねばならぬ」と自戒を込めてこの警句をつくった晩年の・こうである。
※「・」の部分が読めませんでした。
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「時計塔」
施設内の公園にあります。この塔は、「三面塔星型」で、立法・行政・司法の三権分立を象徴したものだそうです。ちなみに時計は、設置当初はスイス製だったのですが、現在は国産のものになっているそう。なんでも時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られた時計だったそうです。
Category : 江戸城秋の江戸城探索13~憲政会館~
2007-01-30 17:00:00桜田門から少し歩くと「憲政記念館」があります。
ここらへんに、先ほどの桜田門で殺された「井伊直弼屋敷跡の碑」があるはずなのですが見つかりませんでした…。すっごい時間を掛けて探したのに…無念です。この「憲政記念館」その昔は武家屋敷で、井伊直弼をはじめ、江戸城を建築した太田道灌や豊臣秀吉の家臣として知られる加藤清正など、多くの歴史上有名人が住んでいたそうです。現在は永田町一丁目1だそうです。
上が井伊直弼屋敷があったころの地図。下は最近の永田町付近。
そしてここは、全国の水準原点だそうです。左側が「日本水準原点標庫」で右側が「水準点」です。
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~説明板より~
日本水準原点は、全国の土地の標高を決める基になるもので、明治24年5月国がここに設けたものです。
水準原点の壱は、この建物の中にある台石に取り付けられた水晶版の目盛りの零線の中心で、その標高は24.4140メートルと定められています。この値は明治6年から長期になたる東京湾の潮位観測による平均海面から求めたものです。 建設省国土地理院
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~もう一つの説明板より~
東京都指定有形文化財(建造物)「日本水準原点標庫」
日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年(1891)五月に水準原点として創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第一期生の佐立七次郎(1756~1922)。建物は石造で平屋建。建築面積は十四・九三㎡で、軒高三・七五m、総高四・三㎡。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンタープラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフの装飾で特徴付けられる。
日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。 東京都教育委員会
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ひっそりとした場所にあるので、なんて無意味に素晴らしい建物に思えてしまいます。この「水準点」の碑はもっと寂しいところにあったので、本当にその碑なのかが気になるところです。
Category : 永田町
秋の江戸城探索12~桜田門~
2007-01-27 17:00:00「桜田門」へ来ました。
左側が「外桜田門」、右側が「内桜田門」というそうです。
寛永13年(1636)に造られ、大正12年(1924)の関東大震災で一部が破損した際に鉄網土蔵造りに改修されているそうです。昭和36年(1961)、国の重要文化財に指定されました。
歴史上でも有名な「桜田門外の変」が起きた現場です。「安政の大獄」で反対派を弾圧した井伊直弼を、水戸や薩摩藩の浪士たちが襲って殺害したというあの事件ですね。当日は雪が降っていて、井伊直弼の警備をしていた人たちは合羽を着ていてすぐに刀が抜けない状態にあり、戦いに遅れを取ってしまったそう。護衛していた人も「え?今日―?」って感じだったのでしょうね。最終的には、井伊直弼の首を取った有村次左衛門をはじめとした多くの浪士側も含めて多くの人が闘死や自害、打ち首に…。一人の人を殺す為に多くの血が流れたとはやるせないです…。また、井伊直弼は跡継ぎを決めていない状態で殺されたのでその場合は御家断絶になるところを、当時、幕府が暗殺されたことを極秘にしておき養子縁組を結んでから病死したことにしたとか。そんなズルじゃないですか…。
おっと、高校野球児?皇居付近はマラソンする人が本当に多いですよね。京都では二条城もマラソンランナーが多いですね。お城は絶好のマラソンスポットなのでしょうか。
石碑がありました。ちなみに桜田門の中はこのような感じ。このお堀の向こう側は皇居ですね。堀にそって鴨たちが丸くなってます。こういう歴史ゆかりの地を訪ねると、今では残忍な事件があったとは思えないのほほんとしていて、この時代に生まれて良かったなぁと再認識しますね。
秋の江戸城探索11~皇居正門~
2007-01-23 17:00:00
右を見ると、なんにもない、なんにもない、なんにもない…な風景ですが、
こちらは皇居正門前でございます。ほんとこの広々とした景色、圧巻です!植えられた松の木もキレイに整っております。
後ろを振り向くと丸の内。
二重橋です。手前の「正門石橋」。奥が「正門鉄橋」。といいます。
奥の橋がちゃんと写っていなかったです…。奥が「二重橋」なのに…。この「二重橋」という名前は、奥にある「正門鉄橋」が、その昔に木を使って二重構造で造られていたことからそう呼ばれたのだとか。手前と奥の橋があって「二重橋」というのだと思っていましたが、それは間違いだそうです。また、手前の「正門石橋」は水面に映る橋と橋が合わさって眼鏡のように見えるので、別名「めがね橋」ともいうそうです。
皇居警察の方たちが門を守っております。一切動きません。
ここが皇居正門。
皇居正門から先は、もちろん入れません。正月や天皇誕生日などの皇居一般参賀で入ることは可能で、ここから入るそうです。この門をくぐれるなんて…一度入ってみたいですよね。
奥に見えるのは、伏見櫓です。
伏見櫓とは、京都の伏見城にあった櫓をここに移築したことからそう呼ばれたそうです。関東大震災により一度倒壊しましたが、その後復元されたそうです。
秋の江戸城探索10~銅像:楠木正成~
2007-01-20 17:00:00
楠木正成像を見ました。この方も教科書から名前が消えた偉人として有名だそうで…。南北朝時代に後醍醐天皇を助けた「忠義の臣」として、以前は掲載されていたようですよ。天皇に従って武士中心の政治であった鎌倉幕府を倒して天皇中心の政治にするのに活躍したのですが、その後、その天皇中心に疑問を持った足利尊氏に「湊川の戦い」で敗れてしまったそうです。
皇居に向かってその銅像は建っておりました。
すっごい迫力です!!!私が今まで見てきた銅像の中でトップレベルの素晴らしさ。今にも動き出しそうな雰囲気に震えます。なので、180度から見てみることにしました。
馬すら恐い…あまりの迫力に踏みつけられそうな感覚に…。
後ろから。ほえーカッコイイ!!
馬の尻尾部分に鳥の巣発見。この威厳がある銅像の中に…なんというギャップ…。よく見たら、馬の足元には鳩が何羽かおりました。急にほのぼのした空気が漂ってきます。。。
鳩はいかがなものか…とは思いますが、鳩だってこの尻尾のからみ具合が巣作りに最高なのでしょうね。大きくなれよー!と像を後に。
近くの売店には、ぐい飲みや爪きりなどの「皇居見学記念」グッズ満載。観光地にはびこるご当地キティちゃん「楠木正成」バージョンもありました。こんなにいかついキティちゃん、買う人いるのだろうか…。こういう三流の空気を出すものってつい見てしまいますよね。なにやら皇居内売店で売られていたものとは一味違う気が…ここにあるグッズはもしかして全部非公式なのでしょうか。などと気にしつつ、皇居正門方面へ。
Category : 江戸城
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