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春の浅草観光:浅草寺の周辺

2007-03-06 17:00:00 Category : 浅草

  

浅草寺付近はお地蔵さまが色んなところに設置されています。宝蔵門からすぐ近くにあるのが、平和地蔵尊。戦没者供養のために建てられたようです。その平和地蔵尊の道を挟んで向こう側には、「二尊仏」という仏さまが2体ならんでおります。貞享4年(1687)に群馬県の高瀬善兵衛が寄進したものだそうです。右は母子地蔵尊です。大二次世界大戦中に満州で命を落とした母と子供の冥福を祈るために建設されたのだそうです。尊像発案者は、漫画家のちばてつや氏だそうです。

  

弁天堂と時の鐘

浅草にも、時を知らせる「時の鐘」があります。

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~説明板より~

 時の鐘(浅草寺)

 江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たしていたのが時の鐘である。当時、江戸城内にあったが。江戸市街地の拡大にともない日本橋本石町にも設置され、さらには浅草寺や寛永寺(上野山内)など、九箇所でも時を知らせた。

 鐘の大きさは、高さ1.1メートル、直径1.52メートル

 鐘銘によれば、撰文は浅草寺別当権僧正宣存で、元禄5年(1692)8月、五代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大椽藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金200両を寄進した。

 この鐘は、時の鐘として、あるいは浅草寺の梵鐘として、さまざまな文学作品にも登場しているが、中でも松尾芭蕉の句、

 

 花の雲 鐘は上野か 浅草か

 

は、あまりにも著名である。

 昭和20年(1945)3月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り、今もなお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたものである。

平成11年3月

台東区教育委員会




本堂から「二天門」を望む。もともと、二天門は、元和4年(1618)に、浅草寺境内に徳川家康を祀った東照宮が造られた際に、将軍参拝用の門として建設されたものだそうです。しかしこの東照宮は、寛永19年(1642)に焼失してしまって門だけが残ったそうです。その後、明治になってから鎌倉にある鶴岡八幡宮より「ニ天像」がこの門に移されたため名前を「二天門」としたそうです。しかしその像は、修理のために搬出されているときに戦火により焼失してしまいます。現在は、上野にある寛永寺厳有院霊廟勅額門にあった木造の「増長天」と「持国天」を安置しています。二天門は周辺の門や本堂が何度か焼失しているのにかろうじて無傷であり、現在は国の重要文化財に指定されています。また、増長天と持国天は都の有形文化財です。



この立派な五重塔もやはり焼失と再建を繰り返しております。現在の五重塔は、昭和48年(1973)に再建されたもの。慶安元年(1648)に建てられたときは、観音堂の東側にあったのだそうです。

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