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桜が咲き始めた上野へ:西郷さん付近

2007-03-20 17:00:00 Category : 上野・谷中



この建物がなんだったのかが分かりませんでした…。

 

 

彰義隊の墓

官軍の西郷隆盛から程近く、小道の脇に彰義隊の墓はあります。敵対していた人たちがこんなにも近くに…。この配置は一体なぜ?上野戦争が終わったときは、官軍に逆らったとして死体もそのまま晒されていたそうです。。。なんて惨い。江戸から明治に変わるころの上野って、多くの血が流れていたのですね…。しかも、このお墓がある辺りは一説によりますとゴミを溜めておくところだったとか…。そのようなお話を聞くと、なんだか悲しいですね。

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~説明板より~

彰義隊の墓

15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷(おきさと)らは、慶応4年(1868)、大政奉還をして上野寛永寺に蟄居(ちっきょ)した慶喜の助命嘆願のために同志をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり、「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦5月15日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で彰義隊を壊滅させた。

 生き残った小川ら隊士は、明治7年(1874)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり戦士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦死の墓を建立した。なお、遺骨の一部は南千住円通寺内に合葬されている。以後、120年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。

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天海僧正毛髪塔

天海僧正の半生(特に前半)には、謎が多いらしいです。「正体は明智光秀」などという説もあるとか…。ほんまかいな。。。しかし108歳とは、長生きですよね。

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~説明板より~

天海僧正毛髪塔(都指定旧跡)

台東区上野公園一番

 天海僧正は、江戸初期の天台宗に高僧で諡号を慈眼大師という。

 天文5年(1536)に奥州会津郡高田郷(福島県)で生まれた。11歳で出家、14歳で比叡山に登り完全に師事して天台教観を学び、さらに三井寺や奈良で諸教学を学んだといわれる。のちに江戸崎不動院(茨城県江戸崎町)、川越喜多院(埼玉県川越市)などに住し、徳川家康の知遇を受けた。元和2年(1616)家康が没すると、その神格化にあたり権限号の勅許を計り、あわせて日光廟の基本的構想をたて造営を指導した。その後も将軍秀忠・家光の帰依を受け、江戸城鎮護のため上野忍岡に寺院の建立を進言し、寛永2年(1625)に寛永寺を創建した。

 寛永20年(1643)に子院の本覚院にて 108歳で示寂。遺命により日光山に葬られ、この地(旧本覚院跡)には供養塔が建てられた。後に本覚院伝来の毛髪を納めた塔も建てられ、毛髪塔と呼ばれるようになった。

平成15年3月

台東区教育委員会

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清水観音堂

天海僧正により、京都の清水寺を模して造られたそうです。当時は京都のように「千年の都の安泰」にあやかって、京都の建物を見本としているものが多く建てられたそうです。ちなみに、寛永寺も比叡山延暦寺を写しとしているそうです。写真右はなんとなく昭和を彷彿とさせる「手水のつかいかた」イラスト。

 

左は下から見た清水観音堂です。確かに清水寺っぽいですね。右は、清水坂の碑です。清水観音堂を下りるとすぐ不忍池があります。

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~説明板より~

清水観音堂(国指定重要文化財)

台東区上野公園1番29号

 清水観音堂は、寛永寺を開創した天海が京都清水寺を模して寛永8年(1631)に創建した。当初、現在地より100mあまり北方の摺鉢山上にあったが、元禄7年(1694)この地へ移築し、現在に至っている。堂宇は、桁行五間、簗間4間、単層入母屋造り、木瓦葺、とくに不忍池に臨む正面の舞台造りは、江戸時代より浮世絵に描かれるなど、著名な景観である。

 起因年老朽化が目立ち、平成2年より全面的な解体・修復工事を実施、平成8年5月に完成した。この間、移築年代を元禄9年にする定説をくつがえす、元禄7年の棟札が発見されるなど、さまざまな事実が明らかとなっている。

 本尊は千手観音坐像で、京都清水寺より奉安したもの。秘仏で平常は扇子内に安置するが、毎年2月初午の日にのみ開扉され、多くの参詣者が訪れる。

 脇本尊の子育観音は、子供に関するさまざまな願いをもつ人々の信仰をあつめ、願い事が成就した際には身代わりの人形を奉納する。毎年9月25日には、奉納された人形を供養する行事がある。

平成10年3月

台東区教育委員会

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