谷中をぶらり途中下車:徳川慶喜墓 | Main | 桜が咲き始めた上野へ:西郷さん付近

桜が咲き始めた上野へ:不忍池

2007-03-24 17:00:00 Category : 上野・谷中

 

 



清水観音寺をまっすぐ下りてくると、不忍池に着きます。曇り空の日に行ったせいか、どんよりと暗くて少し恐いですね。その昔、若い娘が池の前で姿を消してしまったり逢引している時に池に落ちてしまって溺死した若い2人が幽霊となって出てきたり…そんな怪奇現象もあったとか…。

弁天堂までの参道は屋台が沢山でていました。最近の屋台には韓国料理とかの国際派も増えて、結構食欲がそそられますよね。しかし、桜が咲き始めたとはいえまだ寒いこの時期にも金魚すくいは…まだ早いような、そんな気がしました。

  

左:不忍池の碑

中:弁天堂

右:大黒堂

不忍池は、太古の東京湾入江跡だそうです。上野山のことを「忍ヶ岡」というのに対し、不忍と名づけられたそうです。戦後に不忍池を埋め立てて野球場を建てる計画もあったそうですが、地元の人たちの反対によって中止になったそうです。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

~説明板より~

弁天堂

台東区上野公園2番

 寛永2年(1625)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した。不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで、常陸下館城主水谷勝隆が池中に中之島(弁天島)を築き、さらに竹生島の宝厳寺の大弁才天を勧請し弁天堂を建立しました。

 当初、弁天島へは小船で渡っていましたが、寛文年間(1661~72)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、弁天島は弁天堂に参詣する人々や行楽の人々で賑わった。

 弁天堂は昭和20年の空襲で焼失し、昭和33年9月に再建された。弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八腎の大弁才天、脇士は毘沙門天、大黒天である。

 本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。また、本堂前、手水鉢の天井に、天保3年(1832)と銘のある谷文晁による「水墨の竜」を見ることができる。

 大祭は、9月の巳の日で、巳成金という。

平成10年3月

台東区教育委員会

この弁天堂のある中ノ島には何かの記念碑が沢山あります。その一部を紹介します。

  

写真左は「めがね之碑」です。中は「ふぐ供養碑」、なぜふぐ…。そして、右は「杵屋大三郎、同門会と書かれた碑」で、何のものかは分かりませんでした。

  

一番右写真の「スッポン感謝之塔」以外はイマイチなんの碑なのかが不明です。真ん中の写真の碑の前には、石造の琴があります。


  

写真左「東京自動車三十年会記念碑」で、写真中は楽器の糸を供養するための「いと塚」、写真右は「真友の碑」。もう何でもアリです。

  

「暦塚」、「芭蕉翁」、「包丁塚」…。包丁まで供養の対象になるのですね…。

 

「鳥塚」、「幕末之釼豪櫛淵虚沖軒之碑」などなど…。下記写真の碑は何の碑か判別できませんでした。ココらへんは、頼めば碑が建立できるのでしょうか?謎です…。

  

 

footer ads here Powered by ちびログ
footer ads here