「江戸日本橋ドリーム」見事に崩れる | Main | 江戸時代学初心者による江戸歩きの第一歩
波乱万丈伝:名水白木屋の井戸と今はなき白木屋デパート
2006-11-05 17:00:00 Category : 日本橋
ハッキリ言って江戸初心者の私。
江戸時代がどういうものかから始めるのが、大事だ。
という訳で、今回は東海道の始点である日本橋へお出かけしてみた。
『東海道五十三次』の始まり=大事だ。という短絡的な考えからスタートした日本橋江戸歩きは、あまり知識もなくウロウロしていて不審者のようだったと思う…。
日本橋は、江戸時代には商業が大変栄えていて百貨店の三越やふとんの西川など、有名なところもこの界隈でスタートしたそう。
あ、西川は、もともと近江で商業を営んでいたのを、江戸・日本橋に支店を出したとのことでしたが。
地下鉄の日本橋駅を上がり、コレドを出るとなにやら行列が…。
あ!「たいめいけん」!!
あ!「たいめいけん」!!

というわけで、初タンポポオムライス体験である。
江戸そっちぬけでごめんなさい。
映画「タンポポ」をご覧になったことがある人ならご存知であろうあの「タンポポオムライス」に、私が~で・あったぁ~。
私が並んで数分後には、角を曲って最後尾の人が見えなくなるまで並んでいた…。
すごい人気だ、たいめいけん。
というわけでタンポポオムライス(伊丹十三風・1850円)はこちら
→
お値段が高かったというインパクトがありすぎ。
トロッとした玉子がトマトケチャップとチキンライスに絡まって旨味が増す。とても美味しいオムライスだった。
なぜかコールスローとボルシチが50円だった。。この50円は店主の良心の呵責か?
小さめサイズでオムライスと一緒に食べるとおなか一杯だ。
上の階にある「凧の博物館」はお休みだったので、食べて早々に江戸探索開始。
たいめいけんを少しコレド側に戻った後に、「名水白木屋の井戸」という碑を発見。
一緒に出掛けた母が「レッツエンジョイ!」とか言っていて、「おい、それはエンジョイ天狗だろう」と、しかも間違ってるだろうと…思いつつ、記念碑の説明を読む。
一緒に出掛けた母が「レッツエンジョイ!」とか言っていて、「おい、それはエンジョイ天狗だろう」と、しかも間違ってるだろうと…思いつつ、記念碑の説明を読む。

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~記念碑説明より~
江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(1711)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水がわ湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民ならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを平成16年(2004)ここに移設再現したものです。
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今現在、その名水が残っていないというのは残念なことですね。
白木屋という呉服屋も、明治時代以降は百貨店として発展して、百貨店で初めてエレベーターを設置し話題になるなど日本を代表するデパートであったにも関わらず、昭和24年(1949)ごろから業績悪化。経営の乗っ取りが起こり、昭和31年(1956)に東急の傘下へ…かなり波乱万丈なデパートだったのですね。東急百貨店も平成11年(1999)に閉店して、その跡地はコレド日本橋となっています。
白木屋という呉服屋も、明治時代以降は百貨店として発展して、百貨店で初めてエレベーターを設置し話題になるなど日本を代表するデパートであったにも関わらず、昭和24年(1949)ごろから業績悪化。経営の乗っ取りが起こり、昭和31年(1956)に東急の傘下へ…かなり波乱万丈なデパートだったのですね。東急百貨店も平成11年(1999)に閉店して、その跡地はコレド日本橋となっています。
経営権がもめて乗っ取り劇を繰り広げた1人として、あのホテルニュージャパン経営者・横井英樹が有名。今で言う村上ファンドの人みたいなイメージでしょうか?
余談ですがラッパーのZEEBRAは横井英樹の孫ですね。
悪そうなやつはだいたい友達…というフレーズを思い出さずにはいられませんでした。
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