日本橋・魚河岸から○○発祥系の土地を歩く | Main | 日本国道路元標と江戸時代から続く三越
お店に歴史あり、三越前付近
2006-11-15 17:00:00 Category : 日本橋

上から読んでも下から読んでも山本山。「山本海苔店」は三越の前に本店があります。
山本山は元禄3年(1690)にお茶や紙類の商い店として初代山本嘉兵衛が江戸に出店したのがはじまり。
関東大震災や東京空襲での全焼を経て(なんて大変なんだ…)、昭和21年(1946)に日本橋に復活して今に至るそうです。
小さい頃から「梅の花」の缶を見て育っているので、“海苔のお店”としての認識しかなかったのだが、海苔の販売を始めたのは昭和22年(1947)になってからだそう。
山本山は元禄3年(1690)にお茶や紙類の商い店として初代山本嘉兵衛が江戸に出店したのがはじまり。
関東大震災や東京空襲での全焼を経て(なんて大変なんだ…)、昭和21年(1946)に日本橋に復活して今に至るそうです。
小さい頃から「梅の花」の缶を見て育っているので、“海苔のお店”としての認識しかなかったのだが、海苔の販売を始めたのは昭和22年(1947)になってからだそう。

山本山をすぎると、いかにも昔からあるような長屋のお店がありました。
ここら辺のお店には、「表店」と「裏長屋」という江戸町文化があるそうです。
ここら辺のお店には、「表店」と「裏長屋」という江戸町文化があるそうです。
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~「都市江戸の成り立ちとまちづくり」より~
『表店と裏長屋』
日本橋を中心とした江戸の町人地は、地形に合わせて基盤目状に町割されました。かつての町人地にあたる中央通り沿いには、今でも江戸の町割の名残を感じさせる区画が残っています。
1つの町屋敷は通りに面した店舗である「表店(おもてだな)」とその後ろにうなぎの寝床のようにつながる「裏長屋(うらながや)」で構成されていました。表店では商人が店を営み、裏長屋は職人や奉公人、浪人などが住む職住接近空間でした。
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このお店は、「大和屋」という鰹節のお店のようでした。
お休みだったので、情報が得られなくて残念。
お休みだったので、情報が得られなくて残念。

少し歩くと「刃物の木屋」を発見。
木屋の創業は天正元年(1571)で、祖初代林九兵衛より加藤伊助が暖簾わけを許されたのが寛政4年(1792)だそう。本家木屋には「暖簾分けは許すが、本家と同じ商品を扱うことは許されない」と言うしきたりがあり、そのため、打刃物を扱うようになったと言われているそうです。
木屋の創業は天正元年(1571)で、祖初代林九兵衛より加藤伊助が暖簾わけを許されたのが寛政4年(1792)だそう。本家木屋には「暖簾分けは許すが、本家と同じ商品を扱うことは許されない」と言うしきたりがあり、そのため、打刃物を扱うようになったと言われているそうです。


ちなみにそのお隣のお店は「タロー書房」という本屋。
看板のその自体ですぐ分かると思うんですが、故岡本太郎氏のデザインだそうです。
オーナーの方が親戚なんだそうですよ。
看板のその自体ですぐ分かると思うんですが、故岡本太郎氏のデザインだそうです。
オーナーの方が親戚なんだそうですよ。
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