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日本橋・魚河岸から○○発祥系の土地を歩く

2006-11-18 17:00:00 Category : 日本橋

「魚河岸発祥の碑」を探すも何故か見当たらず、江戸橋方面をウロウロ…。
江戸前のお寿司屋がありましたが、やはり休業日だったらしくなんの収穫もなし…。
日本橋は平日に来るに限りますね。

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~「江戸っ子のくらしと流行」より~
日本橋の魚河岸と江戸前の握り寿司 -庶民に受けた江戸のファーストフード-
 かつて日本橋には、家康入府と共に開かれた日本橋の魚市があり、江戸っ子の胃袋を満たしていました。
 江戸前寿司といわれる握り寿司は、文政年間から始まったといわれています。魚と米を発酵させる上方の押鮨に対して、江戸前は魚の種類が多い豊かな江戸湾でとれる新鮮な魚を使っているのが自慢でした。寿司種は刺身、白魚、玉子、穴子やこはだなどが使われ、種と飯の間にはわさびが入れられるという現代のスタイルと同じでした。
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さらに歩くと江戸橋を発見。
江戸橋は、創架が寛永8年(1631)だそうです。
日本橋と同じく上に首都高があり、景観は全然よくありません。
 
 

江戸橋を渡り、少し行くと日本橋郵便局があります。
「郵便発祥の地」↓
 
 
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~説明より~
明治4年3月1日(1871年4月20日)に新式郵政制度が発足したとき、駅遍司(現在の日本郵政公社)と東京の郵便役所(四日市郵便役所とも呼ばれ、現在の東京中央郵便局)が置かれたところです。
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発祥の地ならではの少し豪華な郵便ポスト。
 
「郵便は世界を結ぶ」わーしょいわーっしょい。
 
日本橋郵便局の裏を歩いていると「海運橋親柱」を発見。
 
 
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~説明より~
 開運橋は、楓(もみじ)川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。江戸時代初期には高橋と呼ばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監(しょうげん)忠勝の屋敷が置かれていたので、将監橋とか海賊衆ともいっていたためです。
 橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同8年(1875)に、長さ8間(約15メートル)、幅6間(約11メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁栄し、橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
 石橋は、関東大震災で破損し、昭和2年(1927)に鉄橋に架け替えられました。このとき、二基の石橋の親柱が記念として残されました。鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和37年(1962)撤去されましたが、この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
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文中には「東京の新名所」と書かれるくらい橋がある頃は栄えていたそうですが、現在はとても静かな場所にひっそりと碑がありました。

 
「銀行発祥の地」記念碑。上記説明文の「第一国立銀行」が創立されたところ。
もう少し川の方へ歩いて行くと、「東京証券取引所」があります。
 


山王日枝神社。とてもこぢんまりとした神社です。本社は永田町の日枝神社。
この辺りは証券会社が多くいわばオフィス街だと思うのですが、休日ゆえ、ほとんど人通りがありませんでした。
コンビニを見つけましたが、コンビニさえもお休みでした。。
 

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